民家園について

合掌造り民家園昭和30年代、高度経済成長の下で日本の都市部は快適で文化的な生活観に逼進していました。
他方では、電力水資源や紙パルプ、建築資材を都市へ供給するため、辺境の農山村のゆたかな自然環境が開発という名のもとに疲弊し、白川村も時の流れに例外ではありませんでした。
先祖代々培った自足する暮らしの風土を担う合掌家屋37棟が村外に流出しました。
東京オリンピック開幕の昭和39年、村の最辺地であった加須良の人々が離村し始め4年後に桃源郷加須良は地図から消え、残された無住の7棟の合掌のうち1棟が雪の重みでつぶれました。
村は危機感を持って合掌文化の保存運動に乗り出し、昭和44年~46年に10棟の合掌建築を村内各地より保存目的で、荻町地区の庄川左岸に移築しました。江戸時代の中後期以降の建造物群で、9棟が岐阜県重要文化財の指定を受け、民家園の前身「白川郷合掌村」を創設し、後の世界文化遺産へと保存運動の原点となりました。
「白川郷合掌の里」「野外博物館合掌造り民家園」と名称変更を重ねて現在に至ります。


保存公開建物の概要

野外博物館合掌造り民家園では、岐阜県重要文化財指定建造物9棟を含む全25棟の建造物を保存公開しています。

常設展示案内

合掌造り民家園内、中野義盛家2Fにて、当時の失われゆく合掌集落を写真パネル50枚におよぶ展示を行っています。
1Fでは、山間僻地の医療活動に尽力された医師海野金―郎先生のご功績を惚ぶ詩文、『孤村のともし火』を公開しています。
また、東しな家において、上記の加須良集落が在りし頃、実際に使用していた民具等の展示を行っております。

暮らしと風土

白川郷のイメージはどのようなものであったのか…白川郷の生活文化や食文化、地形風土から方言に至るまでをご紹介しています。

みどころ10

野外博物館合掌造り民家園のみどころを10のポイントに絞ってご紹介しています。
ご来園時の参考にしてみてはいかがでしょうか

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